ところで,医学部の定員を1.5倍にすると医学部の教育の現場に何が起こるでしょうか.
全員を一堂に集めて行う大講義だけで済むのなら全員が着席できる教室がありさえすれば良いわけです.
では,実習はどうでしょうか.
実習は数人のグループで行っていることが多いと思いますが,そのメンバー数を5割り増しにするわけにはいかず,どうしてもグループの数が増えることになるはずです.
臨床医学の実習ではグループごとに教員(=診療科の医師)が必要になりますが,実習を担当する教員は十分にいるのでしょうか.
2004年から始まった臨床研修医制度の募集定員の総数は,医学部の卒業生の数を大きく上回っていました.
研修病院同士を競い合わせ,研修のレベルを上げる,というのがその狙いであったと聞きますが,大方の不安通り,都会の病院に研修医が集まり,地方の大学病院で初期臨床研修を行う研修医は少数となってしまいました.
これは,地方の大学病院の研修プログラムに魅力がなかったからだろう,と切り捨ててしまえるものではありません.
初期臨床研修医は主治医にもなれなければ1人で当直もさせられませんので,大学病院では他院に出向していた医師を呼び戻し指導医とするしかありませんでした.
これは『医師の引き上げ』とマスコミは大学の医局を叩きましたが,研修医制度の制度設計に従うためには,そうする以外に方法はなかったのです.
この結果,多くの自治体病院では医師の定員割れ,診療科目の休止に追い込まれ,挙げ句の果てには入院をとりやめたり,身売りしたり,閉院となってしまった病院も出てきたのはご存じの通りです.
厚生労働省では予てから病床数を減らす目標を立てていましたので,臨床研修医制度の導入による自治体病院の入院のとりやめや閉院は政策ミスでもなんでもないのかもしれません.
臨床研修医制度は2年間は研修に専念するという制度のため,医局は2年間入局者がなかった上に,その後も大都市の医学部以外では入局者数が低迷しているところが多いのが現状です.
医局の医師は医学部の教員と大学病院の医師と研究室の研究員を兼務していますから,少ない教員が定員の増えた医学部教育を行うようなことになれば,業務量の多さに疲弊し,正常な脳の状態ではなくなるかもしれませんし,家族からは仕事と家庭とどちらを取るのか,と選択を迫られることにすらなりかねません.
医学部の定員を増加させるに当たり,教員数が十分確保できない大学病院には医師を補充しないことには,医学教育も満足に行えないばかりか,一気に崩壊してしまう可能性もあるのです.
臨床研修医制度のもう一つの問題は,2年間の研修期間中はアルバイトを禁じられていますので,他院の当直には行けなくなった,ということです.
このため,元々若い医師が日替わりで当直を支えていたような中小病院に中堅の医師が当直に派遣され,都会では夜間や休日に急患の依頼があっても『医師不在』で断らざるを得ない事態の一因となりました.
僻地に初期研修が終わったばかりの医師を割り振るという提案には,女性医師が増えていく中でうまくいくのか,という問題の他にも,医師の能力を磨くことができなくなるのではないか,という心配があります.
日本の医師免許の制度はいきなり本免許が取れるシステムですが,初期研修医の臨床能力は医学部医学科6年生と何ら変わらないわけですから,自動車の免許で言えばほとんど仮免許の状態ですので,指導医はしょっちゅう目をかけていないといけません.
臨床研修医制度はその期間を通して医師見習いとして研修するような制度設計ですので,テレビドラマのように,30歳にもならないような若い医師が自信を持ってバリバリ活躍するようなことはなく,『無知の知』が分かるまで,先輩医師の仕事から学び取っていかなければ,恐くて1人では何もできないのが現実です.
初期臨床研修が終わったばかりの,主治医をしたことのない研修医が僻地の病院に来るのですから,その病院では指導医となる医師の仕事は,医局から医師が派遣されていた時よりも多くなることが懸念されます.
指導医は自分の仕事以外に研修医の指導までしなければならないため,よっぽどヒマな医療機関でもない限り,足手まといと感じられるような事態に陥る可能性は十分にあり,臨床レベルを保つために指導医はますます過労とストレスがうっ積する状態になることが心配されます.
そういう状況では,研修医も十分な指導が受けられるとは思えませんし,独学で医業ができるほど現代医学は甘くありません.
研修医は独り立ちできるまでしっかりと指導を受けられる施設で臨床経験を積まなければ,本人にとっても,指導医にとっても,そして何よりも患者さんにとって,非常に不幸なことになるのです.
元々医局制度の下,大学医学部の講座は僻地に医師を割り振っていたのですが,研修医制度をきっかけに大学病院には研修医が残らなくなり,医局の医師派遣機能は失われました.
では,都会の私立の病院に就職した研修医を僻地に派遣するようにするのでしょうか.
本来院長が持つ人事権ですが,それを『医師配置を行う公的機関』がコントロールするのでしょうか.
外部の公的機関が私企業の社員の人事権をコントロールする!?
これではもはや,医師は奴隷扱いですね.
ドイツやイギリスでは医師が計画配置されているとテレビで取り上げられたことがありましたが,これはそもそも研修医の話ではなく,開業の話ですし,診療科ごとの定数を決めることによって無医村をなくすと同時に医師は安定した生活が手に入るような制度設計になっているのであって,むしろ,医師主導で設計されたギルド的な発想から出発しているように思いました.
診療科ごとの定員を決めるより前に,大学病院と市中病院・公立病院をセットにした研修システムへの改変,無過失補償制度の整備,医療事務職の増員を可能にする診療報酬の大幅増額,子どもを見てもらえる社会的なしくみを整えるなど,先に解決しなければならない問題は山積みです.
働きやすい環境が整っておれば,医師が多すぎてやっていけそうにないと思われる診療科は敬遠され,自然と診療科間のバランスがとれてくるのではないかと思いますし,若いうちは僻地でも離島にでも行ってみたいと思う冒険好きの医師は少なくないと思いますが,それは,しっかりと研修を受け,自信がついたらの話ではないでしょうか.
環境整備のことですが,病院内に24時間営業の託児所を完備させるより,『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』や『コボちゃん』のように3世代が一緒に暮らすのが当たり前になれば,医療従事者は安心して働くことができ,次世代を担う子どもの情操教育にも良いのではないかと思います.
これは医療職に限らず,社会全般の強力な子育て支援策になるはずですし,おじいちゃんおばあちゃんも呆けたり体力が衰えたりする暇もなくなるのではないでしょうか.
日本の医療の現状を見ると,まだ立ち直れる余力があるのか,point of no return を超えてしまったのではないか,と空恐ろしくなります.
医師もまた,いつでも患者になりうる,一介の国民なのですから.
なお,野口英世のように研究一筋でやっていくことができる医師,基礎医学を生涯の生業として志す医師が日本には極めて少ないことは,この分野への政府の予算配分の少なさもさることながら,医師不足も大きく影響しているものと思われます.
患者さんを直接診るばかりが医師の仕事ではないのです.