教室の沿革

解剖学講座の黎明期

久留米大学解剖学講座は、昭和3年(1928年)4月、久留米大学の前身である九州医学専門学校の設立と同時に開講され、初代教授として八重津輝勝氏が就任されました。八重津輝勝氏は中学時代から詩人の北原白秋と親交があったそうです。しかし、八重津教授は49歳の若さで急逝され、昭和10年(1935年)より第2代教授として垣山六二氏が赴任されました。さらに昭和16年(1941年)には第3代教授として柴田至氏が迎えられ、世界大戦前夜の厳しい状況の中で奮闘されました。

解剖学第二講座の誕生

昭和18年(1943年)、本学は九州高等医学専門学校と改称し、さらに昭和21年(1946年)には久留米医科大学となりました。同年、解剖学講座は2講座制となり、台北帝国大学より赴任した忽那将愛教授が解剖学第二講座を担当することになったのが、当教室の始まりと言えます。忽那教授は終戦直後の混乱期にもかかわらず精力的な研究を展開されましたが、昭和24年(1949年)に熊本大学へ転出されました。その後7年間、解剖学第二講座の主任教授は不在でしたが、昭和31年(1956年)、九州大学より山田英智氏が第2代主任教授として着任されました。

電顕組織研究の発展

昭和38年(1963年)には村上正浩氏が第3代主任教授として着任され、各種動物の間脳下垂体系を皮切りに、膵島の機能形態学、副腎皮質や精巣を始めとする男性生殖器系の電顕組織研究を精力的に行なわれました。さらに、平成4年(1992年)には、第4代主任教授として猪口哲夫氏が就任され、末梢神経組織・筋組織の免疫組織化学や微小血管の電顕組織学を中心に研究を展開されました。

顕微解剖・生体形成部門として新たな時代へ

平成15年(2003年)に第5代主任教授として中村桂一郎氏が就任した後、平成17年(2005年)には、解剖学第一講座(現 肉眼・臨床解剖部門)との統合に伴う大講座制への移行を機に、教室の名称を顕微解剖・生体形成部門へと変更しました。中村教授は、結合組織中に存在する線維芽細胞に着目し、集束イオンビーム/走査型電子顕微鏡(FIB/SEM)など、新たな電子顕微鏡技術をもちいた研究を展開されました。令和3年(2021年)3月に中村教授が退任された後、同年10月、川崎医科大学解剖学教室より嶋雄一が第6代主任教授として着任しました。