教室の沿革

 1928年3月に九州医学専門学校が創立され、同年8月に皮膚泌尿器科学講座が開設された。初代教授として九州帝国大学より布施四郎教授が招かれ、円満な性格と卓越なる知識により教室の基礎を確固たるものとされた。
 1947年9月には第2代教授として樋口謙太郎教授が就任、それからまもなくして1949年1月には重松俊教授が第3代教授として迎えられた。重松教授は本学の1回生であり、本学出身の第1号教授となり、講座にとっても大きな名誉であった。
 1953年12月に皮膚科と泌尿器科とに各々分離独立することになり、重松教授が分離後の泌尿器科学講座初代教授として就任され新たな出発となった。1972年5月に重松教授退任の後を受け、本学出身の江藤耕作教授が泌尿器科学講座第2代教授に就任された。教授就任後、臨床面、研究面、教育面に陣頭にたって指導し講座を主宰された。在任中は、第27回日本泌尿器科学会西部総会、第9回九州腎移植研究会など多数の学会を御世話され、また腎臓バンク理事、福岡県病院協会理事、腎不全対策推進会議、 医療審議会などの委員として活躍され、学内では1989年4月より1991年3月まで久留米大学病院長として久留米大学の発展に大いに貢献された。
 研究業績は主なものとして、尿路結石症の基礎と臨床、前立腺癌の診断と治療、尿路感染症などが挙げられる。尿路結石症に関する研究では、教室開講以来脈々と受け継がれてきたテーマであり、基礎では尿路結石特に腎結石の発生機序、臨床では経皮的腎尿管結石砕石術や体外衝撃波結石破砕術の腎への影響について指導された。前立腺癌については、前立腺癌細胞への副腎性男性ホルモンの影響の研究から外科的内分泌療法を開発され、また本学法医学講座の原三郎名誉教授により発見されたγ‐seminoproteinが前立腺の特異抗原として、診断に有用であることを報告された。
 1991年4月に江藤教授が退任後、野田進士教授が第3代教授に就任された。野田教授の研究テーマの1つは尿路性器疾患の電子顕微鏡を用いた形態学的研究で、その中でも尿路結石の発生機転に関する研究では分子生物学的手法により多くの成果が挙げられた。
 2003年3月に野田教授が退院後、松岡啓教授が第4代教授に就任された。松岡教授はEndourologyの分野で活躍し、種々のレーザーを内視鏡を使用して泌尿器科疾患に応用し、特に1994年にはホルミウムレーザーを尿路結石の破砕手段として世界で初めて臨床応用し、FDAの認可を得た。また、1995年には同レーザーによる経尿道的前立腺手術を本邦に導入し、ホルミウムレーザーや術式の普及に尽力され豊富な症例数により多くの業績、成果を挙げている。
 現在、基礎的研究においては腎細胞癌における培養細胞を用いた分子生物学的解析/尿路結石の生成、再発予防に対する分子生物学的手法を用いた病態解析/泌尿生殖臓器の自発収縮機能の解明/膀胱求心性神経に発現する尿意知覚受容分子の解明/など様々な研究がなされている。また、臨床研究でも豊富な症例数を基に尿路結石症に対する内視鏡手術、体外衝撃波破砕術の尿路結石治療における臨床研究/前立腺肥大症に対するレーザー切除術における研究/男性更年期障害、尿失禁に対する臨床研究/を中心に対し精力的に行っている。特に前立腺疾患では前立腺癌ペプチドワクチンの開発で21世紀COEプログラムの先端的癌治療研究拠点の癌ペプチドワクチン研究拠点形成の事業として様々な取り組みがなされている。(久留米大学八十年史より 引用・抜粋)